想いは世界を物理的に動かす、のだそうな

タイトルの元ネタは『水月』からですが、今日の日記のネタは全部CLANNADバレです。注意。


CLANNAD -クラナド- 初回限定版

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CLANNAD (バレ)



最近、「大きな物語」という言葉を無闇に使ってるわけですが、これって便利な言葉だよな―、とつくづく思う。「大きな物語」というのは、ときに神とか真理とかイデオロギーとかを指す言葉なんだけど、『CLANNAD』の言葉で表現するのなら、「共感」と言えば良いだろうか。芳野さんがプロ時代に必死で歌おうとしていたのは、世の中全てを共感させる事のできる言葉だ。芳野さんは、誰をも包み、誰をも救える大きな物語を歌わなければならないと思い込み、結局は追い詰められて破綻する。んで、街に帰ってきて気付くわけだ。

「俺はこの町で、ラブソングだけ歌ってれば良かったんだ」



一ノ瀬夫妻が遺したクマの縫いぐるみは、様々な人の手に渡り、世界中を旅し、奇跡のようにことみの元に辿り着く。でもそれは別に奇跡なんかじゃなくて。


「この鞄を見つけたら、どうか娘に届けて下さい」


ただ娘の幸せだけを願った一ノ瀬夫妻の想いに、世界中の誰もが共感した結果だ。様々な人の手に渡り、その度に小さな物語を生みだしながら、鞄は人から人へと受け継がれていく。小さな物語(共感)が積み重なり、いつしか描かれていく大きな物語(共感)。「奇跡」という現象の裏側には、必ずそれが起こり得るだけの必然性が隠されているものなのである。

遺書を評して、「生涯をかけて完成させた、最高の論文」とか、 「それほどまでに美しい言葉に、かって私は触れたことがない」とか、クサイぐらいに褒めちぎった紳士の言葉はワリと本気だと思う。それは確かに世界を解き明かした真理の一つなのだろう。つーか、目頭が熱いぜチクショウめ…。

ああ、世界中がだんご大家族