水月 〜夢雫〜 第一章(ドラマCD)


本当に金がないので、買うのすげー迷ったんですけど、地元のアニメイトに一本しか置いてないのを見ておもわず発作的に買ってしまいました。俺、意志弱すぎ、釣られすぎ。まだちゃんと陳列されてなかっただけかもしんないじゃん…。


んで内容の方ですが、まぁ、こんなもんかなーと。正直、あの世界観をトノイケ氏以外がまともに理解できるとは思ってなかったし、泪石の不思議パワーで何でもあり、とかやらなかっただけマシかなと思います。ちなみにライターは瀬尾順さん。『こんねこ』を途中まで書いた人ですね。


以下、水月バレ




儀式にはちゃんと意味がある。本編で、透矢はナナミさまを射る“儀式”によって、望まない世界を夢へと還すわけだけれど、これにも当然ちゃんと意味がある。もっとぶっちゃけて言ってしまうと、あれは作劇上の暗喩なのである。まず、透矢が何を手に入れようとしていて、そのために何を手放そうとしているかが問題なのだ。


透矢が取り戻そうとしている過去の記憶───例えば幼い頃から花梨たちと共有してきた時間は、作中で“弓道”に象徴される。だからこそ花梨シナリオでは、花梨は透矢に弓道をさせることに拘るし、逆に透矢は弓道という自分の過去と向き合うことによって、幼い頃の花梨との記憶を思いだす。


一方で雪さんは、透矢が記憶を失っているからこそ受け入れることのできる存在である。雪さんの存在は並外れて現実離れしているからこそ、ちょっとでも透矢が現実に回帰して誰かに甘える必要がなくなれば、雪さんは存在理由そのものを失って消えてしまう。だからというわけではないけれど、雪さんは透矢が過去の記憶(つまり象徴としての“弓道”)を取り戻すことに拘らないし、無条件に透矢を肯定するわけだ。(もちろん透矢が記憶を取り戻せば雪さんは心から喜んでくれるだろう。そして誰からも忘れられてひっそりと消えていく。その辺がジレンマである)


基本的に透矢がナナミさまを射抜く儀式というのは、あくまで透矢が過去の記憶を取り戻していくためのものなのである。だからこそ透矢は、作中で何度となくナナミさまを射る夢を見てしまう。時間の経過と共に───つまり、透矢が過去の自分を取り戻せば取り戻すほどに、ナナミさまや雪さんといった“怪(見えないことで見えてしまうもの)”たちを否定する力は強くなっていく。


だから透矢が雪さんを繋ぎ止めようとするのなら、花梨シナリオのようにナナミさまを射る儀式は逆効果になると考えられる。そういう意味で、ドラマCDの展開にはちょっと違和感があった(っていうか、これが言いたかった)。重ねて書くが、儀式にはちゃんと意味がある。雪さんを手に入れて、そのために全てを投げ出すのならば、手順に沿ったそれ相応の“儀式”が必要になるはずなのだ。


で、その儀式というのが、夢の中で風船ウサギと花梨を選ぶ件なんだろーなーと。



なんかさー、2ch水月スレとか覗くと、雪さん派と花梨派の折り合いが妙に悪くて居心地悪いのよ。おまけに対立を煽るアホまでいるしさー。これって設定上の運命なのかしら。なんとかならんのかねぇ…。