最近、エロゲオタバッシングとかで心がささくれてたので『かもめのジョナサン』には拒否反応が出てしまったのだけれど、もう少し穏やかな心のときに読んでいたのなら、アメリカンでお気楽極楽なサクセスストーリーとして楽しめていた可能性は高い。まぁ、純粋に飛ぶことを楽しんでいる第一部のジョナサンは大好きですし。


少数派であることを理由に排斥されるのは、もちろん嫌なんだけど。でも、群れを高みから眺めるような超越者の視点に酔っ払うのは、結局、孤独じゃないだろうか? 貴族様になって砂糖菓子の弾丸を撃ちまくる生活には正直憧れるけどな。ああ、僕も引きこもってエロゲを糧に生きていたい。


ちなみにネットで知ったこぼれ話。

その1

同じリチャード・バックでも、『イリュージョン』の方はわりと自然体らしい。あとで読んでみよう。

その2

オウムの某幹部が出家する時に、「これが今の自分の心境だ」と母親に手渡したのが、この『かもめのジョナサン』らしい。否が応でも彼らの気持ちが判ってしまうな。というか、本当に判りやすい話だ。人間、そんな判りやすくていいのか…?