昨日の日記は一部撤回



昨日の日記、一日たって改めて読み直してみたら、ちょっとおかしなことを書いてしまった気がする。とりあえず馬券が当たるのが奇蹟とかは変だな…。過去形の“奇跡”に対して、“奇蹟”を未来の可能性とする考え方自体は間違ってないと思うので、少しニュアンスを訂正。


 ・ 奇蹟 ─── 未だ起こっていない、これから証明されるかもしれない可能性
 ・ 奇跡 ─── 実際に起こった、あるいは起こりえると既に証明されている可能性


という感じでどうだろう。“奇蹟”の場合は、ようするに夢物語だ。突拍子もない夢なんだけど、ひょっとしたら未来においては実現するかもしれない、そんな想像力、または可能性(ただし99%は偽物である〜「vsイマジネーター」)。一方で“奇跡”の場合は、人間が飛行機で空を飛ぶとか、既に誰も疑うことのなくなった事象。かって“奇蹟”と呼ばれた可能性が実現されたとき、そこから振り返って想う軌跡の追憶。こう定義すると、上遠野浩平的なイメージとの齟齬がなくなった気がするのだけれど。


んで、この前振りで何が言いたかったかというと、僕は『Kanon』って“奇蹟”の物語だと思うんだ。そして『AIR』は“奇跡”の物語。それは1000の夏の軌跡の物語と言い換えてもいい。


続く。(そういや自分の旧ログ読んでて、続くって言って続かなかったことの多さに軽く引いた)