不意打ち

今……
たった今、ネットをぶらりと巡回してる途中で、CLANNADのネタバレを見てしまった気がする。
すぐに目を逸らしたけれど、あれはたぶん……



う、鬱だ……。

一昨日の日記で少しネタにした「20年目のAVG進化論」は、従来のゲーム的思考や表現スタイルに囚われていない『Fate』を指して、「ゲームではない新しいエンターテイメント」と評している。書かれている内容自体には頷きまくりなのだけれど、「ゲームではない」という言い方だけは引っかかる。

「ゲーム」の定義に収まり切れない作品が出てきてしまったのならば、それは今まで漠然とあった「ゲームとはこうあるべきだ」という既成概念が間違っていただけなのだと思う。今まで見誤ってきただけで、「ゲーム」というメディアには、最初から『Fate』や『Quartett! 』や『鬼哭街』みたいなモノを生み出す可能性があったという事だ。

「この世には不思議なことなど何もない」

……というのは京極堂のキメ台詞だけれど、別に京極堂は「理解不能な現象など起こるはずがない」と言ってる訳ではない。むしろ人間の常識や既成概念の脆さを知っているからこそ、「どんな事が起こっても不思議ではない」と言っているのである。仮に本物の幽霊に出くわしたとしても、「起こってしまった以上、そういう可能性は最初からあった(だからここで幽霊を見た事も不思議ではない)」というのが京極堂の立ち位置なのだ。

んー、例えば『ONE PIECE』で、「グランドラインでは何が起こっても不思議ではない」と言われる。海流が無茶苦茶だろうと、天候や季節がデタラメだろうと、突然ログポーズが空を指そうと、それは全く不思議ではない。グランドラインは人間の常識が通用しない未知の領域だからだ。まず疑うべきは、自分自身の常識の方なのである。

海賊たちは、夢やロマンといった「可能性」を求めて冒険しているのだ。燃えるぜ!