シンフォニック=レイン デジタルピクチャーコレクション


いいかげん引っ張りすぎな気もしますが、掲示板で振られた飛べない妖精さんの話をしてみる。以下バレ。




ファータは、“飛べない妖精”である自分が好きではないのだろう。皆は彼女の歌を褒めるけれど、彼女自身はそれが何も持たない自分への慰めである事を知っている。何一つ誇るものを持たない彼女は、それならば道化として皆の記憶に残ろうとするわけだ。


だが他の妖精たちは、彼女が道化になることなど望んではいないのである。皆はファータを愛していたし、彼女が飛べようと飛べなかろうと何の関係もなかった。ただファータ一人だけが、飛べない妖精である自分自身を愛せなかったのだ。


どれだけファータが別の自分になりたかったとしても、彼女は彼女以外の何者にもなれるわけがなかったし、その事を最後まで認められなかったファータの物語は、愚かしく、悲しく、それ故にアリエッタにとって他人事ではなかったのだろう。


ようはアルも自分自身が好きではないのだ。ファータにとって歌など何の自慢にもならなかったように、アルにとってもパンなど何の自慢にもならなかった。彼女は他に何も持ってなかったから、仕方なくパンを焼き始めただけなのだ。彼女はただ、「クリスとアンサンブルできる自分」でありたかったのではなかろうか。


妖精へと姿を変えたアルが、なぜ自分の肉体に戻れなかったのか?
それは単に彼女が、彼女自身に戻りたくなかったからだと僕は思うのである。


雨の街は、クリスのために作られた優しい嘘である。だが同時にその嘘の世界は、アルがアル以外の何者かになれる世界でもあったのだろう。だからクリスが嘘を必要としなくなり、雨の街がその役目を終えて消える時、フォーニもまた居場所を失い消えていくのだと思う。だからアルEDは、アルが本当の居場所を見つけ雨の街を必要としなくなったとき、歌の下手な自分自身を好きになれたときにだけ行き着くEDなのではないだろうか。